第32軍司令部壕
とは?
1944年(昭和19年)3月、南西諸島の防衛を目的に第32軍が創設され、同年12月には第32軍司令部壕の構築がはじめられました。
1945 年(昭和20年)5月、第32軍司令部は沖縄島南部へ撤退しますが、その時に壕の主要部分と坑口(壕の出入口)は破壊されました。
第32軍司令部壕は首里城地下にあり、直線距離にして約375m、壕の総延長は約1,000mと推定されています。
第32軍司令部壕における
調査及び
取組の紹介
沖縄県では、同壕の保存・公開の可能性や平和発信・継承のあり方等について、多角的な視点から議論していただくため、2020年(令和2年)に専門家等で構成する第32軍司令部壕保存・公開検討委員会を設置しました。第32軍司令部壕の保存・継承及び公開に向けて、その取組に必要な課題及び施策の方向について、有識者から意見を聴取するため、『第32軍司令部壕保存・公開検討委員会』を設置しました。
沖縄県では、同壕の保存・公開の可能性や平和発信・継承のあり方等について、多角的な視点から議論していただくため、2020年(令和2年)に専門家等で構成する第32軍司令部壕保存・公開検討委員会を設置しました。第32軍司令部壕の保存・継承及び公開に向けて、その取組に必要な課題及び施策の方向について、有識者から意見を聴取するため、『第32軍司令部壕保存・公開検討委員会』を設置しました。
第32軍司令部壕の
保存・公開に向けて
戦後77年以上が経過し、戦争体験者の証言を直に聞くことが難しくなりつつあることから、沖縄戦の悲惨な体験と教訓を風化させることなく次世代に継承するため、第32軍司令部壕の保存・公開に向けて取り組みます。